「ラジオ」ⅱ
今週のお題「ラジオ」
”続きまして、天気予報をお送りします。前線が日本の東の海上に離れて広い範囲で高気圧に覆われます。天気は次第に回復に向かっています。今夜は、北東の風、風力は3、晴れ。素晴らしい満月の夜ですね。明日は快晴でしょう。次は……”
「よし、今夜は飛ばそう。」
寝巻きのままベランダで煙草を吸いながら、唐突に思い立った。
完全な昼夜逆転生活のおかげで、西陽で目が覚める体になっていた。窓が北と西にあるのが悪い。(ちなみに北の窓は隣のビルの陰になっている)
そんなわけで、毎日陽が暮れてから「さて今日も一日、頑張るぞい」と気合いが入るので、外に出るとお店は閉店に向かい始め、街は夜の体相で賑わってくる。それでもムダにした一日を取り戻そうと、夜、外に出ることもあるけれど、ここ数日は雨が降っていたり風が強かったり、となかなかそんな気も削がれていた。
乗るのが久々すぎるので、少々不安はある。が、今夜は絶好の満月鑑賞日和である。そうと決まれば。と一目散に火を消し、部屋に戻る。
「やっぱり満月の夜は黒一択ですよねえ」
滅多に着ていない黒のワンピースに腕を通す。否応なしにこの街に来た日を思い出す。なんだかんだ居心地の良い街。誰でも受け入れて、誰の居場所もない街。
玄関にかけてあるそれを勢いよく手に取る。ついている猫のキーホルダーが軽快に揺れる。
「最後に乗ったの、いつだったかなあ」
独り言のようにわざわざ声に出しながら、屋上駐車場への階段を昇る。エレベーターではなく、階段を使うのがミソである。一歩一歩、高いところへ昇っている実感が湧く。馬鹿と煙はなんとやら、なのです。
屋上の扉を押してみると、途端に夜風が体にまとわりついてきた。
「おー、こりゃあ、たまらん風ですな。」
屋上から新宿を見下ろす。見下ろすといっても、まだまだ見上げた方がいいものばかりで、「これだから都会は」、と、つい田舎者くさいセリフを吐いてしまう。
バイク乗りのみならず、オープンカー乗りからもよく共感されるのだが、身体が剥き出しでさらされている状態というのは、意外と苦労が多い。まず、普通に危ない。くわえて夏は暑いし、冬は寒い。気温のちょうどいい季節は大量の花粉を浴びる。雨が降ったらもちろん濡れる。家であれ、移動手段であれ、雨風は凌げる方が良い。
とはいえそれらを省みても、外の空気を直で味わえるというのが、これまた代え難い快感なのである。特に、今日みたいな夜は。どれだけ画質の良い液晶も、透明度の高いフロントガラスも、肉眼には敵わないのだ。
…などという御託をつらつらと並べてまで、わざわざ不便な移動手段に縋りついているのが我々、剥き出しの虜になった者の宿命である。実に愚かです。しかし、人は本能的に愚かな娯楽に魅了されてしまう生き物なのです。愚か者です。愚かしい人。愚かしいこと。愚かしい街。諍うことなく共に堕落しようではないか。
寝起きの頭でひとしきり言い訳をしたところで、相棒にまたがる。猫のキーホルダーがひっかからないように、ラジオを通す。
「今手がふさがってるから、ラジオつけて!」
なんて、一回言ってみたかったんですよね〜、と、手が塞がる前に自分の手でラジオの電源を入れる。ついでに、翼のない人間は堕落したら、どうやって這い上がれば良いのだろうか、などと考える。やっぱ意志?いや、糸か。今世のうちに蜘蛛に優しくしておくことにします。
”それではお聞きください。『中央フリーウェイ』”
全身で鼓動に集中する。目をとじて、風を視る。街の地面を這うようにして風がこちらに巻きあがってくる。
「お、気が利く!こーいうときはユーミンよね」
私は屋上の縁から足を離した。
瞬間、ほうきは昇ってきた風に乗った。
♪
町の灯がやがてまたたきだす
二人して流星になったみたい
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場
この道はまるで滑走路
夜空に続く
満月の夜。私は相棒にまたがって都会の街を見下ろした。
猫はラジオの音に乗って揺れている。
了