過ぎし日の煙

自己満足のホームワークです

「懐かしいもの」ⅱ

今週のお題「懐かしいもの」

 

【懐かしい】(形)*1

以前の事を思い出して、出来ることならもう一度会いたい(見たい)と思う気持だ。

また、かつての友人・知人などに久しぶりに会ったり、思い出のある土地に再び行ってその当時に戻ったような気持をいだく様子だ。

 

 

 ついに来てしまった。

 初上陸。噂には聞いていたけど、なんというか。初めて来たはずなのに、というより、記憶の限りでは絶対に来ていない場所なのに、どことない既視感。

 どんな場所なのだろう。と幾度も考えたことがある。どれも不正解だった。のだけど、どれも正解に限りなく近い。そんな感じである。

 なんだろう、前世の記憶?的なことなのだろうか。初めてとは思えない、どこか懐かしさを感じますね。という、陳腐な言い回しに尽きる。「初めてなのに、どこか懐かしい」の感情は、この場所から湧き出ているとすら思う。

 そうか、私は今、デジャヴの真骨頂に到達したのかもしれない。

 

 覚悟に反して、なんの感情もなかった。虚無とまではいかないけど、全然感動とかではなかったし、ショックかと言われると、そうでもない。ので、少々味気ないのだが、冷静にあれこれと考えてしまった。どこまで行っても人間、根本的なところはなかなか変わらないのだな。と、懲りずにあれこれと考える私であった。

 あまり下調べをせずにのこのこと来てしまった割には、手続きはスムーズに運んだ。案内がある訳でも、説明がある訳でもなかったが、まるで以前にもやったことがあるかのようなスムーズさだった。ほとんど弾丸で来たのだが、勢いには勢い、である。

 

「あれ、ユキシマ?ユキシマじゃない?」

 久しく呼ばれていなかったあだ名なのに、気づけば反射的に振り返っていた。そこには、懐かしい友の姿があった。

「おうあ…うわあ……」

 ここに来て、ようやく知り合いに遭遇。安心と実感が押し寄せて、声にならない声のような声が出た。

「留学行くって言ってたから、しばらく会えないつもりではいたけど、こんなに会えなくなるとは思ってなかった。ここに来ればまた会えるかもって、思わなかったと言えば嘘になるんだけど、まさか」

 本当に会えるとは。

「そのうち来る、とはわかってたけど、意外じゃなさそうで意外な人が来たな、って感じ」

 彼女は何も変わってなかった。私が最後に見ていた、一番新しい姿の彼女だった。

 ほとんど変わらない身長。向かい合わせに立つと、嫌でも目が合う。

 

「こっちに来て、もう1年半も経っちゃった。」

 軽く案内をされながら、なるほど、道理で馴染んでいるな、と納得したが、もう1年半も経つことにはどうにも納得ができなかった。

「その間にも、たくさん話したいことがあったんだよ」

 あったはずだった。他愛のないことばかりだけど。でも、いざ会うと何も浮かばない。

 みんな寂しがってたよ、という言葉は、飲み込んだ。そんなことを話したかったんじゃない。そして、そんなことは彼女が一番知っているはずだから。

「ユキシマがこんなに早く来るとは思ってなかった」

「私も。なんだかんだしぶとく残るタイプだと思ってたよ」

 ね、と2人してしおらしくなってしまった。

 

 逃げたわけじゃない。それぞれ理由があって、ここに来るしかなかったのだ。だから、ここは単なる逃げ場ではないのだ。絶対に。

「こうやって話すの、懐かしすぎて感情がバグりそう」

「まだ1年半しか経ってないよ」

 と、彼女は笑った。

 まだ1年半しか経っていない。この、1年半という時間をどのように捉えれば良いのだろう。まだ1年半。もう、1年半。感覚はどうであれ、事実として経ったのは1年半という時間だ。それは、こんなにも懐かしさが込み上げるものなのか。

「これからは今まで会ってた人たちとしばらく会えなくなっちゃうんだなあ」

 1年半でこれなのだから、懐かしいどころではないかもしれない。

「早くまた会いたいけど、まだこっちには来てほしくないな」

「そうだね。でもまあ、いずれみんなここに来るよ」

 

 不思議なものだ。どうせここに来るのなら、なぜ一度別れなければならないのだろう。

 あれこれと考えてもキリがない。けれど、時間はたくさんある。あーだこーだ文句を言いながら、気長に待とう、ということになった。

「あ、そういえば、TwitterがXになったよ」

 彼女は目をまんまるにして驚いていた。

「こういうのって、天国にも筒抜けなんじゃないの?」

「ごめん、ちょっとTwitterTwitterじゃなくなった話の整理が追いついてない。Xって何?」

 このツイ廃。いや、元・X(旧Twitter)廃人。

 私もすぐ現世についていけなくなるんだろうな。また次に来た人に時間をかけて教えてもらおう。

 

 そうだ、ずっと会いたかった人たちがこちらにはたくさんいる。

 ここでは、たくさんの再会も待っている。

 そしていつかは私も迎え入れる側として。

 

 私が来てしまったこの場所は、どこか懐かしい。

 ここは、誰もが、辿り着くところ。

 

 

 

 

「懐かしいもの」ⅰ

今週のお題「懐かしいもの」

 

1ヶ月ほど前、実家の屋根裏にある物置を整理した。

全部捨てる勢いで断捨離するぞ!!と挑んだものの、結局そこまで捨てられるものはなかった。

というのも、今までも不定期に屋根裏の点検をしているのだが、複数回に渡る厳選作業を潜り抜けてきた精鋭たちしか残っていないので、今さら愛着がなくなる、ということはないのだ。

比較的最近のもの、つまり、前回の点検で空いたスペースに放り込まれたものたち、は「あ〜これまだ残してたのか」という程度で、「まあ、もういいかな」という軽い気持ちで捨てる判断ができた。

しかし、前回も前々回も、その前の点検も通過してきたものたちは、引き出しを開けなくてもなんとなく透けている色味でなにがあるかわかるくらい、覚えているものばかりだ。

幾度もの「これは捨てられない…」という判断があったからこそ、今もそこに眠っている。

今後なにかで使えるかも、とか、価値があるもの、とかではなく、ただ一点、「懐かしい」というだけでそこに存在している。

 

思うに、「懐かしい」にもグラデーションは存在していて、

・実物を見ずとも思い出せるもの

・常に覚えているわけではないが、実物を見ると懐かしさが込み上げてくるもの

がある。

 

前者は思い出が多く、もちろん捨てられないのだが、後者に関しては、実は何者かにこっそり捨てられていたら気づかないのではなかろうか、と不安になる。

何かの弾みで話題にのぼり、「そういえばあれ、まだ取ってあったよね?」とでもならない限りわからないし、きっと見つからなくても「あー、前回のとき捨てちゃったのかなあ」で諦めがつく気がしてしまう。

 

さて、ここでふと問題を提起したい。

 

「実物を残しておくべきは、どちらか?」ということである。

 

つまり、「実物を見なくても思い出せるくらい記憶に残っているもの」と、「実物を見るまで忘れていたが、見るとたちまち思い出が蘇るもの」。

どちらを残しておくべきか、ということだ。

 

正直、今うちの屋根裏はどちらも残してあるのでなかなか断捨離が進まないのだけど、二者択一を迫られたら、どちらを残せば良いのだろう。

一見、実物をみなくても鮮明に思い出せるくらい大切な思い出の品を残すべきだろう、と思うのだが、裏を返せば、それらは実物がなくても思い出せる。

記憶に残っている。

しかし、後者のものはどうだろう。

実物がなくなってしまったら、もう二度と思い出せなくなってしまうかもしれない。

その程度で思い出せなくなるのなら、その程度なのだろう。とは頭では納得できるが、どうも後者こそ実物を保管しておくべきじゃなかろうか…という気がしてしまう。

 

あなたはどう思いますか。

 

そう考えると、デジタル化が進んだ今、こういった「懐かしさ」を感じる機会も変化しているのでしょう。

データで保存すれば、実物ほどスペースを圧迫しないし、実用性のないものを手放すことができるし、経年劣化もしない。

もし災害などですべてのものが手元から失っても、思い出に浸ることができる。

メリットはたくさんあるし、時代に沿った保管方法だと思う。

 

でも、どうしても、紫外線でダメになってしまった色の経年劣化や、あんなに大きく感じたものが実はこんなに小さいものだったのか、という哀感などは、データでは感じ取れないのではないか、と思ってしまう。

というか、そう思いたい。

 

これは平成の価値観で、令和も進めば「データで保存してあるよ、なつかし〜!」という未来が当然来るのかもしれないけども、ついついアナログに懐かしさを求めてしまう、私でした。

 

 

「ラジオ」ⅱ

今週のお題「ラジオ」

 

”続きまして、天気予報をお送りします。前線が日本の東の海上に離れて広い範囲で高気圧に覆われます。天気は次第に回復に向かっています。今夜は、北東の風、風力は3、晴れ。素晴らしい満月の夜ですね。明日は快晴でしょう。次は……”

 

「よし、今夜は飛ばそう。」

 寝巻きのままベランダで煙草を吸いながら、唐突に思い立った。

 完全な昼夜逆転生活のおかげで、西陽で目が覚める体になっていた。窓が北と西にあるのが悪い。(ちなみに北の窓は隣のビルの陰になっている)

 そんなわけで、毎日陽が暮れてから「さて今日も一日、頑張るぞい」と気合いが入るので、外に出るとお店は閉店に向かい始め、街は夜の体相で賑わってくる。それでもムダにした一日を取り戻そうと、夜、外に出ることもあるけれど、ここ数日は雨が降っていたり風が強かったり、となかなかそんな気も削がれていた。

 乗るのが久々すぎるので、少々不安はある。が、今夜は絶好の満月鑑賞日和である。そうと決まれば。と一目散に火を消し、部屋に戻る。

「やっぱり満月の夜は黒一択ですよねえ」

 滅多に着ていない黒のワンピースに腕を通す。否応なしにこの街に来た日を思い出す。なんだかんだ居心地の良い街。誰でも受け入れて、誰の居場所もない街。

 玄関にかけてあるそれを勢いよく手に取る。ついている猫のキーホルダーが軽快に揺れる。

 

「最後に乗ったの、いつだったかなあ」

 独り言のようにわざわざ声に出しながら、屋上駐車場への階段を昇る。エレベーターではなく、階段を使うのがミソである。一歩一歩、高いところへ昇っている実感が湧く。馬鹿と煙はなんとやら、なのです。

 屋上の扉を押してみると、途端に夜風が体にまとわりついてきた。

「おー、こりゃあ、たまらん風ですな。」

 屋上から新宿を見下ろす。見下ろすといっても、まだまだ見上げた方がいいものばかりで、「これだから都会は」、と、つい田舎者くさいセリフを吐いてしまう。

 

 バイク乗りのみならず、オープンカー乗りからもよく共感されるのだが、身体が剥き出しでさらされている状態というのは、意外と苦労が多い。まず、普通に危ない。くわえて夏は暑いし、冬は寒い。気温のちょうどいい季節は大量の花粉を浴びる。雨が降ったらもちろん濡れる。家であれ、移動手段であれ、雨風は凌げる方が良い。

 とはいえそれらを省みても、外の空気を直で味わえるというのが、これまた代え難い快感なのである。特に、今日みたいな夜は。どれだけ画質の良い液晶も、透明度の高いフロントガラスも、肉眼には敵わないのだ。

 …などという御託をつらつらと並べてまで、わざわざ不便な移動手段に縋りついているのが我々、剥き出しの虜になった者の宿命である。実に愚かです。しかし、人は本能的に愚かな娯楽に魅了されてしまう生き物なのです。愚か者です。愚かしい人。愚かしいこと。愚かしい街。諍うことなく共に堕落しようではないか。

 寝起きの頭でひとしきり言い訳をしたところで、相棒にまたがる。猫のキーホルダーがひっかからないように、ラジオを通す。

「今手がふさがってるから、ラジオつけて!」

 なんて、一回言ってみたかったんですよね〜、と、手が塞がる前に自分の手でラジオの電源を入れる。ついでに、翼のない人間は堕落したら、どうやって這い上がれば良いのだろうか、などと考える。やっぱ意志?いや、糸か。今世のうちに蜘蛛に優しくしておくことにします。

 

”それではお聞きください。『中央フリーウェイ』”

 

 全身で鼓動に集中する。目をとじて、風を視る。街の地面を這うようにして風がこちらに巻きあがってくる。

 

「お、気が利く!こーいうときはユーミンよね」

 私は屋上の縁から足を離した。

 瞬間、ほうきは昇ってきた風に乗った。

 

町の灯がやがてまたたきだす

二人して流星になったみたい

中央フリーウェイ

右に見える競馬場 左はビール工場

この道はまるで滑走路

夜空に続く

 

 満月の夜。私は相棒にまたがって都会の街を見下ろした。

 猫はラジオの音に乗って揺れている。

 

 

 

引用:松任谷由実 中央フリーウェイ 歌詞 - 歌ネット

 

 

「ラジオ」ⅰ

今週のお題「ラジオ」

「私の葬式ではFMヨコハマを流して欲しい」

当時まだマブではなかった、現マブダチにそう告げたのは、移築前の横浜アンパンマンこどもミュージアムのテラス席だったと記憶している。

その後の部活の同窓会の0次会と称したアンパンマンこどもミュージアム訪問は、コキンちゃんのファンサにドキンとやられてしまった記憶と、「葬式で流す曲のプレイリストを作成しよう」という会話をダチとテラス席でした記憶で埋め尽くされている。

そもそもプレイリストの発案はダチのダチであったのだが、本人不在の中プレイリスト表及び遺書は改変防止のため事前にPDFで複数配布しておこう、というところまで話が進み、アンパンマンこどもミュージアムのテラスを後にした。

ちょうど高校を卒業し、大学に馴染めてきたかな、という頃だった。

なぜ私は葬式でラジオを流そうと思ったのか、なぜそこまでしてFMヨコハマにこだわったのか。

正直なところ、私でもさっぱりわからないのである。

マブダチから度々この話をされるので記憶自体は定期的に思い出すのだが、この発言に至った経緯がイマイチ思い出せない。

というのも、後になってから葬式は自分で主催できないので、当たり前にやってもらえるという前提が傲慢でおこがましい、と気づいてしまったので「私の葬式では〜」論に興味が薄れてしまったというのが大きい。

また、参列はしていないものの、お葬式会場を多く見ていた時期がある私でも、ラジオが流れている会場には遭遇できなかった。(一度だけ、生前故人さまが気に入っていた、というアルバムCDを流していたお式がありました)

発案者であるダチのダチも、きっと組んでいたプレイリストは流れなかったのだと思う。

 

いまさらながら、私とラジオの関係を語る。

「昔よく車の中で聴いてました!」というものには、懐メロであったり、親の趣味の音楽が相当することが多いような気がしている。

私にとってそれはラジオであった。

車の中では基本ラジオが流れ、祖母の部屋でもラジオが流れ、半年に一度通っていた歯医者ですらも、ラジオが流れていた。

いつだったか、車で流しているラジオ局がJ-WAVEからFMヨコハマになった。

熱海を超えた辺りで電波が悪くなるのが味である。

 

自主的にラジオを聞くようになったのは、中学生の頃だ。

夜更かしに歯止めが効かなくなった中学1年の冬から、オールナイトニッポンにのめり込む受験期までの道のりは必然であった。

毎週火曜日がお気に入りで、22時から3時までをリアルタイムで流しながら勉強に打ち込んだ。

高校時代はついに家の外でラジオを聞くようになった。

ウォークマンで通学途中や放課後にラジオを聞いた。

大学時代はもっぱら深夜ラジオを聞いた。

radikoが登場し、タイムフリー機能ができたので、わざわざ録音せずとも、好きな時間に好きな番組が聞けるようになった。

とはいえ、なんだかんだ深夜にリアルタイムで聞き耳を立てていることも多かった。

日曜天国だけはできるだけリアルタイムで、家族も一緒に聞いた。

 

社会人にもなると、深夜ラジオと呼ばれる番組にはあまり近付かなくなった。

「好きな番組」といえるものも、答えられなくなっていった。

しかし、継続してラジオにはお世話になっている。

それが朝のラジオ体操からのニュース、寝付けない日のラジオ深夜便

 

私は音声から情報を得るのがあまり得意ではないとわかってしまった今、ラジオは無意識に力が入って少し疲れてしまうメディアになってしまった。

反面、寝ぼけた状態でぼそぼそと人の声が聞こえる状況がすごく心地よいことにも気づけたのである。

必要以上に情報が頭に侵入しない。

目が覚めて起き上がるまでの間、寝転がったものの目が冴えている間、ラジオの音声が絶妙な距離感で存在してくれるのだ。

現在の私とラジオは、そんなものである。

 

いつも以上に自分語りが過ぎる回になりました。

せっかく発信するならYouTubeでラジオ語りでもすればいいのにね。

 

なーんてね。

 

 

「名作」ⅱ

今週のお題「名作」

 

 すばらしい日だな。こんなに何もなくて、こんなにすばらしい日は、一生のうちに何度もないかもしれない。

「貴様は幸福ということを言っているのか」

 人生、なにもない方が案外幸福なのかもしれないね。

「僕はそんな退屈な物語は御免だよ」

 そうかなあ。実は私は赤毛のみなしごで、美人な姉、ピアノと絵がそれぞれ得意な妹が2人いて、母をたずねる道中、あらいぐまとの友情を育み、疲れ果てて教会の絵の前で眠るという最期を迎えるんだ。それはそれは世界で語り継がれる名作のような人生になるだろうね。だが、幸福かどうかはまた別だ。

「なぜそこまでして幸福にこだわる?」

 幸福を愛しているから。そして私は平和の象徴としての務めもある。

「驚いた。貴様は猫じゃなかったのか」

 そうさ。猫でも象でもない。抱かれもしないし泳ぎもしない。自由にただ幸福と平和を愛する鳩さ。

「随分と自由気ままに生きているんだな。平和主義者というのは勝手なものだ。貴様は何もないこれをすばらしい日だと言う。だが、僕のこの心に砂の滴るような憂鬱からは目を背けている」

 平和と幸福は似て非なるものだよ。残念なことにね。私は幸福を愛しているし、キミにもできれば幸福になってほしいと願っている。しかし、平和とはなんだろうか。もしも争いのない未来こそが平和だというのなら、そこではみなが幸福なのだろうか。誰かの抑圧された人生で成り立っている平和とは、本当の幸福といえるのだろうか。

 いっそのこと、平和なんてものがなければみながそこそこに幸福を得られるのかもしれないね。

「何か決定的なもの。それが欲しい。だが、そんな夢みたいなことが起きるだろうか」

 わからない。だが、夢に見ていた未来じゃなくても、夢に見ていた自分じゃなくても、真っ当に暮らしていくことだね。キミはこれ以上何が欲しい?

 私たちはまた会うよ。きっと会う。次は夢日記の外で会おう。

 

 描いたような夢。すばらしい日だ。何もなくて、一生のうちに何度もないような日だ。何もない日。平和主義者の鳩はこの光景をみてなんと言うだろうか。

 ついに、東京タワーが崩れた。ビルも次々と倒れてゆく。東京がじわりじわりと着実に壊されてゆく。ほとほとチェックメイトというところだろうか。

 

 何もない。

 街は消え、為す術もなく、禍々しい異形の生き物を見上げる。

 

 美しい。

 

 鳩よ、僕は今とてつもない幸福の中にいるのだろうか。

 

 春だというのに、雪が降った。

 白い塊が僕に襲いかかる。滝のように降る雪だ。

 瓦礫から差し込む光の中で、僕はたしかに鳩の姿を見た。

 

 

 

三島由紀夫『春の雪』

「春の雪」

世界名作劇場

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』

Peace

アンジュルム『46億年LOVE』

「シン・ゴジラ」

 

 

「名作」ⅰ

今週のお題「名作」

熱くなってしまいました、今日は長いです。

 

もしかすると、作品を評価する上で重きを置くポイントが少しずれているのかもしれない。

言い換えれば、私の名作センサーはほんの少し人とずれているかもしれない。

ということに、薄々気づき始めた。

 

こういう言い方をすると、「わたし、ちょっと変わってるんです〜テヘッ」みたいですごくいやだ。うあああ

変わり者アピールをどうにか避けられないものかと一応模索したけれど、どうやっても回りくどくなったので、苦渋の判断で冒頭に至った。

とはいえ、ちゃんとミーハーなところもあるし、RRRは超最高だったので、なんでもかんでも穿った見方がしたいわけでも、ヒット作はすべて否定!とかいうわけでもないのです。

 

いやはや今回のお題には、誇張なしで頭を抱えてしまった。

というのも、お題に沿ってなにか特定の名作について書こうにも、考えれば考えるほど「あれもこれも」と浮かんでしまって、だめだ、私には選べないッ…と、一度お題を放棄した。

思い切ってお題を放棄し、ごろごろと横になりながらとある映画を観た。

かねてからよく晴れた日中に観たいと決めていた映画だ。

アリ・アスター監督の「ミッドサマー」である。

 

結論から言うと、非常によかった。

過激な描写が多い、トラウマになった、などのレビューをみていたので、なかなか観れずにいたのだが、観てみると結構おもしろかった。

ディレクターズカット版も近々観る予定です。

監督がこの作品について、「ホラー映画じゃない」と言っているらしい。

正直、予告とそのコメント欄を見た限り「ホラーじゃないは無理があるだろ」と思っていたけど、実際映画を観ると納得できた。

確かにホラー的なシーンももちろんあるけど、恐怖感を楽しむ映画というよりは、ちゃんと主人公の変化に主軸を置いたストーリーだと感じた。

 

ミッドサマーの一週間ほど前に観た映画がある。

押切蓮介氏原作のミスミソウ

こちらも素晴らしかった。

何周かして、原作の漫画も読んだ。

原作も履修した上で、素晴らしい映画だったと思った。

久しぶりに映画の良さというものを目の当たりにしたな、と思えるような名作だった。

 

ミッドサマー鑑賞後、興奮してアリ・アスター監督のインタビューを読んだ。

引用記事:

eiga.com

 

僕にとっては、ホラーというよりダークコメディだし、カタルシスを感じる物語。心動かされる作品であってほしいしと同時に、ざわざわした気持ちになってほしい。ホラーが苦手な人が感じて困るざわざわではないと思うよ

 

ダークコメディ。

先週まで絶賛していたミスミソウも、かなりダークな世界観で、救いのない展開が続くのだが、私はダークコメディに属するのではないかと解釈した。(異論は認める)

「そうはならんやろ」がまかり通る世界観というのだろうか。

ご都合主義と言われるとそこまでになってしまうが、ストーリーのある種のツッコミどころをコメディで包含できていて、世界観が破綻していないところがすごく良い。

 

劇中では、自身の作品にとって重要だという“色味”にもこだわった

 

この、画面の色味についても、ミスミソウと通ずるところがある。

ミスミソウも、色彩についてとにかくこだわったんだろうな、という映画だった。

細かい説明は避けるが、「その子はそんな格好しないだろ」「どんなコーディネートやねん」みたいな服装で、特にツッコミもなく平気で登場人物が歩いている。

個人的な解釈ですが、キャラクター性にリアリティを持たせようとすると「あり得ない」服装であるけども、画面の絵面・色味として観ると、「あり」になることがある。

演出の一環として許されてしまう。

私は、変にリアリティを求めるより、多少破綻していても、「ああ、きっとこの画を撮りたかったんだなあ」というのがひしひしと伝わる映画が好きなんだと思う。

 

そんなわけで、ここ最近観た映画がどちらも大当たりだった!というお話です。

 

しかし、一番最近映画館で観た作品は、思わず途中で萎えてしまうくらいの駄作だった。

観てる最中からツッコミが止まらず、「泣ける」と聞いて膝に用意していたハンカチも一切出番が来ないまま劇場が明るくなった。

主演の二人がとにかく美しくて、ただただ二人を眺めて終わった。

上映後、トイレで「なんだったんだこの映画は」と、同時に、映画に没頭できなかった自分を悔いた。アンパンマンの映画を見にいくとOP映像で必ず泣いているので、自身のことは涙脆い方だと思っているのだが、卒業式や「泣ける」映画ではあまり泣けないことを思い出しながら、上映中使わなかったハンカチで手を拭いた。

さぞ酷評だろうと気にも留めていなかったのだが、気づけば口コミの高評価、大ヒットに続き、記録的な快挙を成し遂げていた。

一人で鑑賞していたのであまり実感がなかったのだが、どうやらめちゃくちゃ良い映画だったらしい。

な、なんだってー!

とてもじゃないが「ずっとイライラしっぱなしだった」とは口が裂けても言えない…。

 

映画がつまらなかったのではなく、あの映画を楽しめない自分がつまらない人間だった、というオチでした。

 

この話は2023年の話なのですが、それまであまり自分の「おもしろい」の基準がずれていると感じたことはなく、大して捻くれた見方もしないし、多数派の人間と疑わなかった。

私がジブリで一番好きな作品はハウルの動く城です。

ほら、割と王道。

 

ただまあ、片鱗があったかもしれないと思うのが、2番目に好きな作品。

風立ちぬです。

1番好きな作品について言及することがあっても、あまり2番目に言及してこなかったので違和感がなかったけれど、どうやら「風立ちぬ」ってあまり王道じゃない…?

必ず3回は号泣する場面があって、覚悟を決めてからじゃないと観れないけれど、大好きな作品。

声優についても異論なし。(異論は認めない)

あと、ジブリだと、コクリコ坂も結構好きでした。

 

ああ、名作って難しいなあ。

 

 

 

シン・ゴジラ、私は今までみた映画の中でトップクラスに好きなんだけどなあ。

 

「お弁当」ⅱ

今週のお題「お弁当」

 

「ウソやん」

 思ったより大きな声だったらしい。前の席の女の子がこちらを振り返ってきたので、片手をあげてペコペコとごめん、の意思を伝える。

 私の机には、おかずが彩り良く敷き詰められたお弁当箱が2つ並べて置いてある。いつもは上の段におかず、下の段にごはんが詰められているのだが、今日に限っては上も下もおかずがぎゅうぎゅうに入っている。

 もしや、と思ったと同時に、スマホが急かすように震えた。

「姉ちゃん」

「お弁当どうなってる?」

「ちなみにオレの」

 3つの吹き出しのあとに送られてきた写真には、白いごはんが2つ並んでいた。…あかん。

「こうなってるわ」

 こちらも目の前の状況を撮って送る。まあ、あたしの方がマシやな、と思っていると、

「オレのほうがつらいやん」

 という返信がきた。かわいそうな弟、こんなときでも姉に負けるとは。日頃の行いの差ちゃうん、と文字を打っていると、

「カモイさん、おかずいっぱいやね」

 スマホから顔をあげると、先ほど振り返っていた前の席の女の子が今度は身体ごとずらしてこちらを見ていた。

「あー、弟が、おんねんけど、おかずが全部こっちきて、ごはんが全部あっちいったみたい」

「そら災難やね」

 そうなんよ、とため息をつく。

「でも弟くんの方が災難やね」

 …ドンマイ、弟。

 エビハラさんは、小柄で、目がくりくりしてて、髪の毛がなんかフワフワしてて、たぶんなんかいい匂いがして、とにかくかわいらしい女の子っぽい女の子だ。プリントを受け取って後ろにまわす指先の白さ、細さをつい目で追ってしまったことがある。もし自分の手があの子の手だったら、と想像してみたが、すぐにボールで突き指をしそうだな、と予想がついて、諦めた。諦めるもなにも、あの子の手にはなれないのだけど。

 エビハラさんがエビハラで、あたしがカモイでよかった、と思う。出席番号が逆だったら、エビハラさんがカモイであたしがエビハラだったら、エビハラさんはあたしの背中で隠れてしまうだろう。もしそうだったら、授業中も黒板が見えているか気にしちゃって、お互い大変だったろうな。

 

「なあ、私のごはんとカモイさんのおかず、交換せえへん?」

 へ、とも、え、とも取れる返事を聞く前に、エビハラさんは白いごはんの入ったタッパーをあたしの机に置いた。

「私も今日ごはんしか持ってないねん」

 エビハラさんのお母さんもやらかしたん?ときくと、うちはお母さん料理しないから、と言った。

「今朝なー、なんか全部めんどくさくなって、炊飯器の中のごはん全部詰めてきたんよ、せやから今日ごはんしかないねん」

 たまにそういう日がくるらしく、おかずがなくても山盛りのごはんさえあれば、とりあえずお腹は満たされるのだそうだ。

「エビハラさんて意外と大胆やな」

 そーかなー、と言いながらエビハラさんはタッパーを開ける。

「一合まるまるつっこんできたんだけど、半分くらいでええ?」

「ええです、十分すぎるくらいです」

 ありがとう、とエビハラさんの華奢な手からタッパーのフタにもりもりと分けられたごはんの山を受け取る。じゃあこれ、と本来は弟のおかずになるはずだったものを差し出す。

「わー、ありがとう。カモイさんのお母さんめっちゃおいしそうなお弁当つくるなあ」

「おかずとごはん間違えるけどね」

 そんなん、と目を輝かせながら「そのおかげで私も食べさせてもらってるから有難いくらいやわ」とエビハラさんは言った。弟くんには悪いけどなー、とだけ付け加えて、いただきます、と手を合わせた。

 

「エビハラさんってなんて呼ばれてる?」

 卵焼きをまじまじと観察していたエビハラさんは、「ちづっちゃんって呼ばれるかなあ、チヅルでもええよ」と答えてから卵焼きをほおばり、笑った。

「ちづっちゃん、なんかええなあ、好きやわあたし」

「せやろー、私も気に入ってんねん。トモカはともかって感じやね」

 なんやそれ、と言いながらわけてもらったごはんに手を伸ばす。おいしい。

 

 そういえば、と弟にメッセージを送りかけていたことを思い出す。途中まで打っていた文字を消して、「姉、ごはんゲット」とだけ送った。即座に既読がつき、返信がきた。思わず吹き出す。

「弟な、じゃんけん負けてふりかけもらいそこねたんやって」

「とことんついてない弟やなあ」

 帰ってから弟に文句を言われるのは目に見えている。さすがにかわいそうなので、かわいくておもろい友だちもできた、ということは黙っておくことにした。