過ぎし日の煙

自己満足のホームワークです

「名作」ⅰ

今週のお題「名作」

熱くなってしまいました、今日は長いです。

 

もしかすると、作品を評価する上で重きを置くポイントが少しずれているのかもしれない。

言い換えれば、私の名作センサーはほんの少し人とずれているかもしれない。

ということに、薄々気づき始めた。

 

こういう言い方をすると、「わたし、ちょっと変わってるんです〜テヘッ」みたいですごくいやだ。うあああ

変わり者アピールをどうにか避けられないものかと一応模索したけれど、どうやっても回りくどくなったので、苦渋の判断で冒頭に至った。

とはいえ、ちゃんとミーハーなところもあるし、RRRは超最高だったので、なんでもかんでも穿った見方がしたいわけでも、ヒット作はすべて否定!とかいうわけでもないのです。

 

いやはや今回のお題には、誇張なしで頭を抱えてしまった。

というのも、お題に沿ってなにか特定の名作について書こうにも、考えれば考えるほど「あれもこれも」と浮かんでしまって、だめだ、私には選べないッ…と、一度お題を放棄した。

思い切ってお題を放棄し、ごろごろと横になりながらとある映画を観た。

かねてからよく晴れた日中に観たいと決めていた映画だ。

アリ・アスター監督の「ミッドサマー」である。

 

結論から言うと、非常によかった。

過激な描写が多い、トラウマになった、などのレビューをみていたので、なかなか観れずにいたのだが、観てみると結構おもしろかった。

ディレクターズカット版も近々観る予定です。

監督がこの作品について、「ホラー映画じゃない」と言っているらしい。

正直、予告とそのコメント欄を見た限り「ホラーじゃないは無理があるだろ」と思っていたけど、実際映画を観ると納得できた。

確かにホラー的なシーンももちろんあるけど、恐怖感を楽しむ映画というよりは、ちゃんと主人公の変化に主軸を置いたストーリーだと感じた。

 

ミッドサマーの一週間ほど前に観た映画がある。

押切蓮介氏原作のミスミソウ

こちらも素晴らしかった。

何周かして、原作の漫画も読んだ。

原作も履修した上で、素晴らしい映画だったと思った。

久しぶりに映画の良さというものを目の当たりにしたな、と思えるような名作だった。

 

ミッドサマー鑑賞後、興奮してアリ・アスター監督のインタビューを読んだ。

引用記事:

eiga.com

 

僕にとっては、ホラーというよりダークコメディだし、カタルシスを感じる物語。心動かされる作品であってほしいしと同時に、ざわざわした気持ちになってほしい。ホラーが苦手な人が感じて困るざわざわではないと思うよ

 

ダークコメディ。

先週まで絶賛していたミスミソウも、かなりダークな世界観で、救いのない展開が続くのだが、私はダークコメディに属するのではないかと解釈した。(異論は認める)

「そうはならんやろ」がまかり通る世界観というのだろうか。

ご都合主義と言われるとそこまでになってしまうが、ストーリーのある種のツッコミどころをコメディで包含できていて、世界観が破綻していないところがすごく良い。

 

劇中では、自身の作品にとって重要だという“色味”にもこだわった

 

この、画面の色味についても、ミスミソウと通ずるところがある。

ミスミソウも、色彩についてとにかくこだわったんだろうな、という映画だった。

細かい説明は避けるが、「その子はそんな格好しないだろ」「どんなコーディネートやねん」みたいな服装で、特にツッコミもなく平気で登場人物が歩いている。

個人的な解釈ですが、キャラクター性にリアリティを持たせようとすると「あり得ない」服装であるけども、画面の絵面・色味として観ると、「あり」になることがある。

演出の一環として許されてしまう。

私は、変にリアリティを求めるより、多少破綻していても、「ああ、きっとこの画を撮りたかったんだなあ」というのがひしひしと伝わる映画が好きなんだと思う。

 

そんなわけで、ここ最近観た映画がどちらも大当たりだった!というお話です。

 

しかし、一番最近映画館で観た作品は、思わず途中で萎えてしまうくらいの駄作だった。

観てる最中からツッコミが止まらず、「泣ける」と聞いて膝に用意していたハンカチも一切出番が来ないまま劇場が明るくなった。

主演の二人がとにかく美しくて、ただただ二人を眺めて終わった。

上映後、トイレで「なんだったんだこの映画は」と、同時に、映画に没頭できなかった自分を悔いた。アンパンマンの映画を見にいくとOP映像で必ず泣いているので、自身のことは涙脆い方だと思っているのだが、卒業式や「泣ける」映画ではあまり泣けないことを思い出しながら、上映中使わなかったハンカチで手を拭いた。

さぞ酷評だろうと気にも留めていなかったのだが、気づけば口コミの高評価、大ヒットに続き、記録的な快挙を成し遂げていた。

一人で鑑賞していたのであまり実感がなかったのだが、どうやらめちゃくちゃ良い映画だったらしい。

な、なんだってー!

とてもじゃないが「ずっとイライラしっぱなしだった」とは口が裂けても言えない…。

 

映画がつまらなかったのではなく、あの映画を楽しめない自分がつまらない人間だった、というオチでした。

 

この話は2023年の話なのですが、それまであまり自分の「おもしろい」の基準がずれていると感じたことはなく、大して捻くれた見方もしないし、多数派の人間と疑わなかった。

私がジブリで一番好きな作品はハウルの動く城です。

ほら、割と王道。

 

ただまあ、片鱗があったかもしれないと思うのが、2番目に好きな作品。

風立ちぬです。

1番好きな作品について言及することがあっても、あまり2番目に言及してこなかったので違和感がなかったけれど、どうやら「風立ちぬ」ってあまり王道じゃない…?

必ず3回は号泣する場面があって、覚悟を決めてからじゃないと観れないけれど、大好きな作品。

声優についても異論なし。(異論は認めない)

あと、ジブリだと、コクリコ坂も結構好きでした。

 

ああ、名作って難しいなあ。

 

 

 

シン・ゴジラ、私は今までみた映画の中でトップクラスに好きなんだけどなあ。

 

「お弁当」ⅱ

今週のお題「お弁当」

 

「ウソやん」

 思ったより大きな声だったらしい。前の席の女の子がこちらを振り返ってきたので、片手をあげてペコペコとごめん、の意思を伝える。

 私の机には、おかずが彩り良く敷き詰められたお弁当箱が2つ並べて置いてある。いつもは上の段におかず、下の段にごはんが詰められているのだが、今日に限っては上も下もおかずがぎゅうぎゅうに入っている。

 もしや、と思ったと同時に、スマホが急かすように震えた。

「姉ちゃん」

「お弁当どうなってる?」

「ちなみにオレの」

 3つの吹き出しのあとに送られてきた写真には、白いごはんが2つ並んでいた。…あかん。

「こうなってるわ」

 こちらも目の前の状況を撮って送る。まあ、あたしの方がマシやな、と思っていると、

「オレのほうがつらいやん」

 という返信がきた。かわいそうな弟、こんなときでも姉に負けるとは。日頃の行いの差ちゃうん、と文字を打っていると、

「カモイさん、おかずいっぱいやね」

 スマホから顔をあげると、先ほど振り返っていた前の席の女の子が今度は身体ごとずらしてこちらを見ていた。

「あー、弟が、おんねんけど、おかずが全部こっちきて、ごはんが全部あっちいったみたい」

「そら災難やね」

 そうなんよ、とため息をつく。

「でも弟くんの方が災難やね」

 …ドンマイ、弟。

 エビハラさんは、小柄で、目がくりくりしてて、髪の毛がなんかフワフワしてて、たぶんなんかいい匂いがして、とにかくかわいらしい女の子っぽい女の子だ。プリントを受け取って後ろにまわす指先の白さ、細さをつい目で追ってしまったことがある。もし自分の手があの子の手だったら、と想像してみたが、すぐにボールで突き指をしそうだな、と予想がついて、諦めた。諦めるもなにも、あの子の手にはなれないのだけど。

 エビハラさんがエビハラで、あたしがカモイでよかった、と思う。出席番号が逆だったら、エビハラさんがカモイであたしがエビハラだったら、エビハラさんはあたしの背中で隠れてしまうだろう。もしそうだったら、授業中も黒板が見えているか気にしちゃって、お互い大変だったろうな。

 

「なあ、私のごはんとカモイさんのおかず、交換せえへん?」

 へ、とも、え、とも取れる返事を聞く前に、エビハラさんは白いごはんの入ったタッパーをあたしの机に置いた。

「私も今日ごはんしか持ってないねん」

 エビハラさんのお母さんもやらかしたん?ときくと、うちはお母さん料理しないから、と言った。

「今朝なー、なんか全部めんどくさくなって、炊飯器の中のごはん全部詰めてきたんよ、せやから今日ごはんしかないねん」

 たまにそういう日がくるらしく、おかずがなくても山盛りのごはんさえあれば、とりあえずお腹は満たされるのだそうだ。

「エビハラさんて意外と大胆やな」

 そーかなー、と言いながらエビハラさんはタッパーを開ける。

「一合まるまるつっこんできたんだけど、半分くらいでええ?」

「ええです、十分すぎるくらいです」

 ありがとう、とエビハラさんの華奢な手からタッパーのフタにもりもりと分けられたごはんの山を受け取る。じゃあこれ、と本来は弟のおかずになるはずだったものを差し出す。

「わー、ありがとう。カモイさんのお母さんめっちゃおいしそうなお弁当つくるなあ」

「おかずとごはん間違えるけどね」

 そんなん、と目を輝かせながら「そのおかげで私も食べさせてもらってるから有難いくらいやわ」とエビハラさんは言った。弟くんには悪いけどなー、とだけ付け加えて、いただきます、と手を合わせた。

 

「エビハラさんってなんて呼ばれてる?」

 卵焼きをまじまじと観察していたエビハラさんは、「ちづっちゃんって呼ばれるかなあ、チヅルでもええよ」と答えてから卵焼きをほおばり、笑った。

「ちづっちゃん、なんかええなあ、好きやわあたし」

「せやろー、私も気に入ってんねん。トモカはともかって感じやね」

 なんやそれ、と言いながらわけてもらったごはんに手を伸ばす。おいしい。

 

 そういえば、と弟にメッセージを送りかけていたことを思い出す。途中まで打っていた文字を消して、「姉、ごはんゲット」とだけ送った。即座に既読がつき、返信がきた。思わず吹き出す。

「弟な、じゃんけん負けてふりかけもらいそこねたんやって」

「とことんついてない弟やなあ」

 帰ってから弟に文句を言われるのは目に見えている。さすがにかわいそうなので、かわいくておもろい友だちもできた、ということは黙っておくことにした。

 

 

「お弁当」ⅰ

今週のお題「お弁当」

 

お弁当は、つくづく奥の深いものだな、と思う。

思えば、私の学生時代は比較的お弁当とともにあったし、今でもお弁当好きな人間である。

 

私のお弁当ライフは幼稚園から始まり、社会人になってもそれなりに続いている。

幼稚園では、冬になると朝持ってきたお弁当を提出して、お昼になるまで保温庫にいれられていた。今でもときどき冬の空気の中で、保温庫とお弁当の混ざった独特の匂いを思い出す。

力加減がわからず、しょっちゅうおにぎりの中心を親指型ににぎり潰しては中身の具をぶちまけながら食べていた幼稚園時代から、しばし小学校の給食時代に入る。

しかし、私が6年生の頃、給食センターの改修工事だかで、ほぼ1年間お弁当生活を強いられていた。中学高校は給食がなかったので、実質私の給食生活は5年強で終わった。

中学校では、お昼の時間になるとクラスごとに用意されているお茶の入ったやかんを教室に持って行き、お昼休みにやかんを片付けて戻す係があった。

私は、その係を3年間務めた。当時の私はなにかに取り憑かれているかのようだった。

2・3年生のときは毎日一人でその係を全うし、しれっと中学3年間は皆勤賞だった。

高校は、お昼の時間こそ設けられてはいたが、早弁しようがどこで食べようが自由、という校風だったので、お昼の時間は図書館にこもっていた。

図書館は飲食ができないため、私はいつも午前の授業の合間にお弁当を食べていた。

お昼の時間ではない時間に、一人でベンチで母の作ったお弁当を貪り食っていた。

お弁当を人気のない場所で一人で食べる生活、私としてはしてよかったな、と思っている。

そんなわけで偏見だけど、学生時代、お昼を一人で食べた経験がある人は信用に値する気がする。

 

それからのお弁当生活は、外食だったり、食堂でのランチが増え、かなり薄れていく。

また、お弁当は母のお手製から自分のズボラな弁当へとシフトする。

お弁当は、根気のいるものだ、と自分でお弁当を作るようになってから知った。

闘いは前日の夜からすでに始まっている。

そこでの準備が翌日の朝の余裕を生むのだ。

 

毎日欠かさずお弁当を持たせてくれた母は、すごい。

健康のためだったり、節約のためだったり、理由は様々あるだろうが、お弁当を作り、持参している人たちは、すごい。

ましてや、誰かのお弁当を朝から用意している人は、本当にすごい。

母から「毎日同じで飽きないの?」と言われるたびに、「飽きない」と答えていたが、気遣いとかではなく、心から母の作るお弁当が好きだった。

特に高校時代、ベンチでお弁当を食べていたとき、会話をする相手がいなかったから、「今日は何かな」と、お弁当のフタを開けるのが楽しみだった。味わって食べた。

たまに友だちとお昼を食べた日は、それはそれは楽しかったけれど、「お弁当」と聞いて真っ先に思い出すのは、高校生のころ薄暗いベンチで一人で食べた母のお弁当である。

 

厄介ばかりかけて悪いなあ、とは思っているけれど、今でも母にお弁当を作って欲しいと甘えたくなる。

自分でも作るようになり、お弁当作りの面倒くささもわかった上で、甘えたくなるのだ。

私ではあの母のお弁当を作ることはできない、ということもわかったからだ。

キャラ弁に興味のない子供だったので、幼稚園の頃からシンプルなお弁当を持たせてくれた。

同じレシピで作ってみても、どうしてもあの頃食べていた卵焼きの味が再現できない。

 

毎日お弁当を作る苦労を知った今、自分ではあの卵焼きを作れないと知った今、一人で母のお弁当を食べている高校生の私に会えたら、「そのお弁当、おいしそうだね」と声をかけたい。

そして、私の作った80点の卵焼きと母の卵焼きを交換してもらうのだ。

毎日母のお弁当を食べている贅沢者には、これくらいの仕打ちがちょうどいいだろう。

「外でしたいこと」ⅱ

今週のお題「外でしたいこと」

 

 

 僕はただ家に帰りたいだけだ。雨の中、途方に暮れる。

 

 深夜、およそ3時頃だろうか。なかなか寝付けず、外に出ることにした。普段はあまり吸わないけれど、こんなときは無性に煙草が恋しくなる。ついでにコンビニで適当につまむものを買って、適当な場所で一服して家に帰る。眠れない夜は決まってこれをする、というわけではなかったが、別にこれが初めて、というわけでもない。だが、家に帰れなくなったのは今日が初めてだった。

 コンビニに行ったところまでは順調だった。というか、この時点では気づいていなかった、が正しいのかもしれない。20本入りの煙草を1箱、しかも変な気が差していつもは買わないソフトで。あとはのり塩のポテトチップスと、レジ前の誘惑に負けてからあげまで買ってしまった。お酒も買おうと一通り物色したが、手を伸ばしかけたところで「この時間の酒は太るんじゃ」と思って、やめた。理性があるのか、ないのか。理性というよりは悪あがきに近い。

 煙草とポテチとからあげの入ったレジ袋を下げて、コンビニを出る。夜中のコンビニ。街頭に照らされる雨粒。嫌いじゃない。ご機嫌な足取りで、公園に入る。ここには、いつの間にか共有にされているらしい吸い殻入れが置いてある。このご時世で、とは思うものの、軽く見渡しただけでは気づかないような、隅っこに追いやられているところをみると、多少は時代に沿っているのか。深夜ともなると、遊んでいる子どもたちどころか人通りも少ない。煙草を吸う肩身の狭さが、軽減されるような気がする。その点でも夜は良い。

 さて、ここらで一服、とポケットに手をかけてあることに気づく。ライターがない。そうか、あまり考えずに家を出たから忘れたのか。しまったなあ、せめてコンビニで気づいていれば。コンビニに戻るか。家に戻るか。選択を迫られる。僕はいま、コンビニと家の中間あたりに位置する公園にいる。僕の家には、過去にも同じようなうっかりで買ってしまったライターが何個もあることを考えると、家に戻る方が得策な気がする。だが、煙草を吸いに外に出て、ライターを取りに一度家に戻ってからまた外に出るのは億劫だし、なによりマヌケすぎる。とはいえ、ライターを買いにコンビニまで戻るのもなあ、と半ばどうでもよくなりながらもう一度ポケットを探る。やはり、スマホ以外入っていなかった。だよなあ。少し迷って、深夜の一服を諦めて家に帰ることにした。まあ、小腹を満たすものはゲットできたことだし、とできるだけ前向きに雨の中を進む。

 

 待てよ。

 スマホ以外入っていない?

 

 僕のポケットには今、スマホ以外何も入っていない。ライターもない。家の鍵も、無論、ない。

 

 思い返すと、鍵を閉めた記憶がない。記憶がないだけで、実は無意識でやってたかもしれない、が、それは願望に等しく、現に今、いつも入れているポケットに家の鍵は入っていない。鍵を閉めずに外出するなんて不用心だなあ、アハハ。で済めばよかったのだが、僕の家はもう一つ鍵を使う場所がある。エントランスである。つまり僕は、オートロックのエントランスの自動ドアを開ける術がない。そんなわけで、割と焦っているし、狼狽えている。深夜、雨、と抜群に人通りの少ない状況で、傘とスマホと煙草(ライターはない)とポテチ、からあげを持って突っ立つことしかできない。

 みじめだ。家に戻ってはまた出て、ができないので、マヌケどころの話ではなくなってしまった。煙草を吸いに外に出て、煙草が吸えずに、家にも帰れなくなっている。僕はしばらくその場で固まっていたが、「せめてライターだけでも」と一度コンビニの方へ身体を向けて、「でもその間に誰かがエントランスを通りかかるかも」と、さらに180度身体を回転させた。腹が立つ、ということはなかった。どちらかというと落ち込んでいた。腹は立たないし、そこまで空いてもいなかったが、他にすることがないので、レジ袋からからあげを取り出す。外で歩きながら食べるコンビニフード、おいしいよね、となんとか自分を慰める、自分。管理会社に連絡がつながる時間と、エントランスに人が出入りするような時間、どちらが早いだろうか、とからあげをモシャモシャ食べながら考える。

 ああ、はやく家に帰りたい。からあげは人肌ほどにぬるくなっていた。

 

「外でしたいこと」ⅰ

今週のお題「外でしたいこと」

 

お世話になっております。

すぎたひのと申します。

 

露天風呂。

これです。

外でしたいこと。

 

実をいうとワタクシ、銭湯や温泉好きの割には露天風呂、あまり好きじゃないです。

なんか、虫とかヤじゃん…って感じ。

だから初めての浴場に行って「電気風呂あるやん!!」でアガることはあっても、「露天風呂あるやん!!」とはならない。

し、露天風呂なくても「あ、ないんだ〜」くらい。

ちなみに、億万長者になったら自宅にサウナより先に電気風呂を作ると豪語するくらい電気風呂を愛しているのですが、どこに行っても電気風呂は基本ないと思っているので、なくても落ち込みこそしないですが、その分あったときのアガりようはすごい。他の比じゃない。

電気風呂、いっつも空いてるのが魅力の一つですが、みんなもっと電気風呂の虜になってくれよ!とも思っています。

炭酸風呂の人口密度を分けてほしいくらいですね。

 

…脱線しましたね。

露天風呂の話ですね。

正確には露天風呂ですらなく、「外でしたいこと」ですね。

 

なぜ露天風呂か。

土砂降りの中、屋根のない露天風呂で湯船より上も下も全身ビシャビシャになるのがサイコーにきもちいらしい話を聞いて早数年、チャンスを狙っているのですが、なかなかできていないからです。

このままでは、我が生涯に土砂降り露天風呂の悔いあり……

どうやら、屋根のない露天風呂というのがハードルを爆上げしている模様。

運良く土砂降りで決行した旅行の露天風呂が屋根なしであれば、と思うものの、旅行はどう考えても土砂降りじゃない方が良いので、やはり悔いありの未来しか見えません。

 

補足ですが、そこまで好きじゃなかった露天風呂、今は結構好きかもしれません。

サウナ後に貸切状態の露天風呂に全裸で(すみません)仁王立ちしていたときの快感が忘れられません。

過去最高の整いでした。

あとは、外の気温とお湯の温度がいい感じで、半身浴がちょうどいいので、好き。

 

だいぶ雑になってきましたが、露天つながりで、露店も好きです。

人混みが苦手なのですが、縁日の露店が出てるとついつい寄ってしまいます。

りんご飴と焼きそばが好きです。

なんでしょうね、割高ですし珍しいものが売ってるわけでもないけれど、外で食べるから良いのでしょうか。

夏の夜に蚊と闘いながら屋台の煙い中を練り歩き、食べる。

ピクニックやBBQもそうですが、外でゴハンを食べること。

これだけで気軽に幸せになれる気がします。

特別感が良いのでしょうか。

コロナのときはお花見も飲食禁止でしたが、今年はレジャーシートを敷いておにぎりを食べている人をたくさん見かけて、嬉しくなりました。

太陽の下で食べるお米は最高においしいのだ。

 

あ、いけない、また脱線してしまいました。

露天風呂の話をしていたのに。

 

以上が私の「外でしたいこと」でした。

 

 

では、また明日。

15日の誕生日

4月も15日です。

新年度始まり2週間、気温上昇まっしぐら、偶数月の15日、つまりは年金支給日です。

 

私ごとですが、キッチンのスポンジは2ヶ月に1回のペースで交換しています。

まったく偶然ですが、初めに2ヶ月を意識してスポンジを交換したのが偶数月の15日だったため、我が家のスポンジは年金支給日に世代交代をしています。

年金受給者でも、売上に影響の出る販売業でも、なにかしらの関係者でもない、年金外界隈に属している中では割と偶数月の15日への意識が高いのでした。

 

さて、本題です。

年金もスポンジもまったく本筋には関係ないです。

「今日から記事、書くか〜!」となったので、書きます、よろしくどうぞ。ということが本題です。

 

「今日から記事、書くか〜!」となったので、書きます。よろしくどうぞ。以上でも以下でもないのですが、せっかくなのでもう少し書きましょう。

しばしお付き合いを。

 

ちなみに作業用BGMとしていつもはゆったりした音楽を聴くのですが、初回ばかりはと気合を入れた結果、RRR(観るエナジードリンクと名高いインド映画)のサウンドトラックを流しています。

今日は戦闘力強めです。

 

 

改めまして、はじめまして。

 

ネームバリューもなく、目を惹くトピックも書けやしない、誰得??というような、なんていうんですか、ブログ?保管庫??です、よくわかりません。

開設した経緯としては、物書きのきっかけが欲しかったからです。

強制的に物を書く習慣をつけたかったのですが、なにせ先延ばし癖がすごいので、「書きたいことが浮かんだら…」とか言っていたら一生浮かばなそうだったので、無理やりそこから浮かび上がらせる環境を作りました。

 

とにかく定期的に書く。

そのための場所です。

 

タイトルは、今朝、お香からのぼる煙をみていて「なんかイイネ!」と思ったので、煙にしました。

なんて丁寧。

 

まだなにも細かいことは決まっていません。

なんかやりながら模索するつもりです。

あまりこだわって決めても、やり始めたら上手くいかないかもしれんし、飽きそうだし、それより多く何かを書いて、残す。

とにかく、書く。

とに書く。

 

そんな感じで思い立って、本日より書き始めました。

 

ふらふらと、いったりきたり流されて、でも辺りに残り香だけはほんのりと漂わせていきたいです。

そう、煙みたいにね。

 

なんちゃって。

 

 

スポンジの交換もブログの開設も、なにか始めるには年金支給日と相性が良いらしい、すぎたひのと申します。

 

最後までお付き合いありがとうございます。

以後、宜しくお願い致します。

 

では、また明日。