今週のお題「お弁当」
お弁当は、つくづく奥の深いものだな、と思う。
思えば、私の学生時代は比較的お弁当とともにあったし、今でもお弁当好きな人間である。
私のお弁当ライフは幼稚園から始まり、社会人になってもそれなりに続いている。
幼稚園では、冬になると朝持ってきたお弁当を提出して、お昼になるまで保温庫にいれられていた。今でもときどき冬の空気の中で、保温庫とお弁当の混ざった独特の匂いを思い出す。
力加減がわからず、しょっちゅうおにぎりの中心を親指型ににぎり潰しては中身の具をぶちまけながら食べていた幼稚園時代から、しばし小学校の給食時代に入る。
しかし、私が6年生の頃、給食センターの改修工事だかで、ほぼ1年間お弁当生活を強いられていた。中学高校は給食がなかったので、実質私の給食生活は5年強で終わった。
中学校では、お昼の時間になるとクラスごとに用意されているお茶の入ったやかんを教室に持って行き、お昼休みにやかんを片付けて戻す係があった。
私は、その係を3年間務めた。当時の私はなにかに取り憑かれているかのようだった。
2・3年生のときは毎日一人でその係を全うし、しれっと中学3年間は皆勤賞だった。
高校は、お昼の時間こそ設けられてはいたが、早弁しようがどこで食べようが自由、という校風だったので、お昼の時間は図書館にこもっていた。
図書館は飲食ができないため、私はいつも午前の授業の合間にお弁当を食べていた。
お昼の時間ではない時間に、一人でベンチで母の作ったお弁当を貪り食っていた。
お弁当を人気のない場所で一人で食べる生活、私としてはしてよかったな、と思っている。
そんなわけで偏見だけど、学生時代、お昼を一人で食べた経験がある人は信用に値する気がする。
それからのお弁当生活は、外食だったり、食堂でのランチが増え、かなり薄れていく。
また、お弁当は母のお手製から自分のズボラな弁当へとシフトする。
お弁当は、根気のいるものだ、と自分でお弁当を作るようになってから知った。
闘いは前日の夜からすでに始まっている。
そこでの準備が翌日の朝の余裕を生むのだ。
毎日欠かさずお弁当を持たせてくれた母は、すごい。
健康のためだったり、節約のためだったり、理由は様々あるだろうが、お弁当を作り、持参している人たちは、すごい。
ましてや、誰かのお弁当を朝から用意している人は、本当にすごい。
母から「毎日同じで飽きないの?」と言われるたびに、「飽きない」と答えていたが、気遣いとかではなく、心から母の作るお弁当が好きだった。
特に高校時代、ベンチでお弁当を食べていたとき、会話をする相手がいなかったから、「今日は何かな」と、お弁当のフタを開けるのが楽しみだった。味わって食べた。
たまに友だちとお昼を食べた日は、それはそれは楽しかったけれど、「お弁当」と聞いて真っ先に思い出すのは、高校生のころ薄暗いベンチで一人で食べた母のお弁当である。
厄介ばかりかけて悪いなあ、とは思っているけれど、今でも母にお弁当を作って欲しいと甘えたくなる。
自分でも作るようになり、お弁当作りの面倒くささもわかった上で、甘えたくなるのだ。
私ではあの母のお弁当を作ることはできない、ということもわかったからだ。
キャラ弁に興味のない子供だったので、幼稚園の頃からシンプルなお弁当を持たせてくれた。
同じレシピで作ってみても、どうしてもあの頃食べていた卵焼きの味が再現できない。
毎日お弁当を作る苦労を知った今、自分ではあの卵焼きを作れないと知った今、一人で母のお弁当を食べている高校生の私に会えたら、「そのお弁当、おいしそうだね」と声をかけたい。
そして、私の作った80点の卵焼きと母の卵焼きを交換してもらうのだ。
毎日母のお弁当を食べている贅沢者には、これくらいの仕打ちがちょうどいいだろう。